5月病な日々

脚色と虚構

服を売ったギャングの話

部屋を掃除した。

正しくは、服を整理した、ですが。

昔から掃除というものが苦手で、家に自分のテリトリーがないことも相まって、私の持ち物はあちこちに好き勝手転がっている。

服に関して言えば、タンスと押入れとクローゼットにバラバラに押し込められているのはまだいいとして、問題なのは所持している服の8割が床に積まれているということだった。つまり押し込められているのは残りの2割。文字通り服の山である。

そんな状態で暮らしていてもズボラで外見に無頓着なたちの私は一向に構わなかったんだが、ある時気付いてしまった。

あれ…私、いつも同じ服着てね…?

誤解を招きそうなので訂正しておくと、服を洗っていないとか同じ服を複数所持しているとかではないです。単純に、上下10着づつくらいで着回しているということ。

更にここで補足しておくと、服の山というだけあって私が所持している服は決して少なくはない。ただ、スタメンが上下合わせて20着なのである。残りは全員ベンチ待機。もうベンチとか壊れますね。

これでは眠っている服がかわいそうだし、そもそも着ない服をいつまでも大事にしまっておく意味がわからない。

というわけで、個人的に時間も出来たし、ちょっとした節目でもあるし、いい機会なので見る人が見ればゴミ屋敷と言われそうな、我が家の掃除を試みたのである。

ところで、私は何か行動する前には満足するまで情報を集める人間なのだが。例に漏れず今回も、いわゆる「片付け本」を何冊かパラパラとやった。中でも参考にしたのはこんまいさんの『人生がときめく片付けの魔法』である。

人生がときめく片づけの魔法

人生がときめく片づけの魔法

 

物凄く有名なので、今更かよ!と言われそうだが、本当に人生がときめいたので紹介させて欲しい。

私が実践したのはたったみっつだ。

①所持する服を一つ残らず出すこと

②いるものといらないものに分けること(シビア目に)

③立てて収納すること

まず、家中の自分の服を出すところから始めたんだが、これがまた大変な量で骨の折れる作業だった。何なら床が見えなくなっていた。足の踏み場はもちろんなかった。

そして②の作業に移る。これは世のありとあらゆる「整理」と名のつく作業について回る行為だが、重要なのはカッコの部分。(シビア目に)というのは、つまり容赦無く捨てろという意味である。

オンシーズンなのに一度も着ていない服、サイズが合わない服、傷んでいる服、趣味ではなくなった服、などなど、私の場合全体の3割強はいらない服だった。

いるものといらないものに分けたところで、満を辞して収納である。今まであっちこっちに散りばめられていた服だが、ひとつのタンスに種類別に分けて綺麗に収納することが出来た。

立てて収納、というのはうまく説明できないので本を買うなりググるなりしてください。ちなみに今回収納したタンスは兄弟の共用タンスだったのだが、誰一人として実用していなかったので強奪した。

強奪などと言うと、さながらギャングですね。

一方、いらなくなった服たちだが、こちらはハードオフに持って行くことにした。

服を売るなどという行為は初めてだったが、整理をしたことで私の日々のワードローブは潤った。部屋も若干広くなったし、何より心が広くなった感じがする。服を整理した者の余裕、とでも言うのだろうか、ハードオフへの足取りも自然と軽かったような気がする。

ハードオフではだいたい次の季節のアイテムを買い取ってくれるらしい。今は2月なので春服と夏服がよく売れるようだ。

私の場合、春夏秋冬オールシーズンのアイテムを網羅していたのだが、ハードオフは値段のつけられないものも引き取ってくれるので断捨離には丁度いいというわけである。

御察しの通り私は調子に乗っていた。だいたい、掃除などという行為自体何年ぶりかわからない。

そんな一大イベントを乗り越えた自分にはさらなるハッピーが待っているに違いないとおもっていた。具体的に言うと持ち込んだ服たちは、少なく見積もっても1000円くらいで売れるとおもっていた。

270円でした。

先ほどまでギャングだなんだと言っていた人間が手にしたのが270円。たったの270円ですよ。ワンコイン以下。

隠しきれないショックを和らげようと、帰りにハードオフの脇にある自動販売機でジュースを買った。

当たり付き自動販売機だったのだが、普通に外れました。世の中服を整理したくらいじゃ甘くはならないようですね。

5月病の女

おもうところがあって、日々の生活を書き残す場が欲しくなった。

昔から文章を書くことは好きで、自作の小説を書いたり日記を書いたりいろいろやっていた。もちろん好きだからといってうまいというわけではない。

それとは関係なく、人間の趣味というものは移り変わるものである。成長するにつれ例外なく私の活字離れは進み、それに伴い老化も進み、肌は荒れ、目はさらに悪くなり、髪は抜け、腰も曲がり、気づけば昨日の出来事すら思い出せない始末。 

半分くらい嘘ですが。 

とにかく記憶力の低下が進んでいるのは事実で、楽しかったことも悲しかったことも、食べたものや見たもの、行ったところも、家族や友達のことでさえ、私のポンコツ脳は日々忘れていく。それが悲しいとおもったのである。

年々時が経つのが早くなって、健忘は加速度的に進んでいく。自分に都合のいいことしか覚えていないし、あるいは自分に都合のいいようにしか覚えていない。

これはではいけない、なんとかせねばとおもい立ち、ブログ開設という手段をとった。 

というか単純に、過去の自分の文章や創作を見るのは楽しい。そっちの意味合いの方が強いが、体裁が悪いのでここまでだらだらと語ってきた。

見栄っ張りで本当に申し訳ありません。謝ったので許してほしい。

ところで、このブログのタイトルでもある5月病、どんな意味か知っているだろうか。私は超絶あやふやにしか知らなかった。ので、ググってみた。 

 五月病(ごがつびょう)とは、新人社員や大学の新入生や社会人などに見られる、新しい環境に適応できないことに起因する精神的な症状の総称である。

日本においては、新年度の4月には入学や就職、異動、一人暮らしなど新しい環境への期待があり、やる気があるものの、その環境に適応できないでいると人によってはうつ病に似た症状がしばしば5月のゴールデンウィーク明け頃から起こることが多いためこの名称がある。「さつきびょう」は誤読。医学的な診断名としては、「適応障害」あるいは「うつ病」と診断される。

発症に至る例としては、今春に生活環境が大きく変化した者の中で、新しい生活や環境に適応できないまま、ゴールデンウィーク中に疲れが一気に噴き出す、長い休みの影響で学校や職場への行く気を削ぐなどの要因から、ゴールデンウィーク明け頃から理由不明確な体や心の不調に陥る、というものがある。

Wikipediaより引用)

 すごくわかりやすい。Google先生およびWikipedia先生にはいつもお世話になっています。

意味を理解したところで、なぜブログタイトルに採用したのかという話だが、語呂が良かったからである。

長々とウィキまで引用しておいて何を言ってんだという話ですね、わかります。でもどうか鼻息を荒げず聞いてほしい。

いざブログを開設しようとした私が、ぶつかった最初の壁が「タイトル」だった。

 私にはセンスがない。色彩センスも配置センスも昔から散々バカにされてきた。やっと褒められたとおもったらフリー素材の配色をもろに参考にしたものだったりで、私自身が考えるオリジナルは自分でもがっかりするほどダサかった。

そんな私が作文などでもっとも苦手とした作業、それが「タイトル」である。

 ちなみに、このブログの初期設定時のタイトルは「hsatukiの日記」。タイトルは作品の顔だ。特に小説や論文、ウェブサイトなど、情報を得るためにある程度の体力を要するものの場合、私などはタイトルで読むか読まないか選別してしまう。同じような人は多いのではないのだろうか。

そんな重要なタイトルだが、さすがに初期設定の「hsatukiの日記」では初期設定感が漂いすぎているし、半角英数字である「hsatuki」と全角かなである「の日記」がタイトルという一つ屋根の下で共同生活する様子は字面的にも好ましくない。

そんなこんなで、センスがないなりにいくつか考えてみたものが、 

①さつきの日記

②5月病な日々

③五月の魔女

 絞り出した結果がこれである。本当にセンスがない。

 ①はシンプルすぎるし、③は魔女という単語がかっこいいかなと思って安直に使ってみたが、ブログ主であるところの私の得体の知れなさがひどかったので却下。残った②が繰り上げ採用となった。

②も③もなぜ5月かというと、私のハンドルネームが「さつき」だからである。とことん安直ですね。

 別段5月病ではないが、どうかひとつよろしくお願いしますということで。

 こんなんで本当に申し訳ありません。謝ったので許してほしい。