ブログは短い方がよい
真に読み手のことを考えた時、文章は自然と短くなる。
特にブログのように不特定多数に向かって発信する場合は、それだけ気を使ってしかるべきだろう。
さて、このブログはどうなんだという話だが。
「五月病な日々」、おかげさまでたくさんの方に見ていただいているようですが、驚いたことに今だにコメントはゼロ。見た人全員無言。
なんなら直接「見たよ〜」のような言葉をもらったことも一度もない。逆に誰が見ているのかわからず疑心暗鬼に陥りそうである。
まぁ気軽にコメントが来るような内容でもないのでそれはそれでいいんですが。
ところで、毎回投稿する前に自分でざっと目を通すんだが、なんか長いかな…とおもうわけである。長さが気にならない程度に面白い内容なら良いのだが、別段そういうわけでもない。
まぁいいか、と投稿する。
次の日あたりにもう一度読み返すのだが、これは長いな…とおもうわけである。昨日の時点で、なんか長いかな…という不安感だったものが確信に変わる。
でも公開しちゃったしまぁいいか、と放置する。
そうして一週間後くらいになんとなく読み返すともう、長い長い!めちゃくちゃ長いわ!何が言いたいんだ!とおもうわけである。確信が憤りになっている。自分で自分にキレている。
疲れてんだよこっちは、と。こんな長いもん読ませるんじゃないよ、と。
なにが言いたいかというと、私のブログはいちいち長いということである。
具体的にどれくらい長いのか気になったので平均値を出してみたのだが、1585.25文字であった。ちょっとした論文と同じ文字数である。
言っておきますが、私は別に暇ではありません。
ついダラダラと書いてしまうのが癖なのである。日記というか雑記なのでダラダラ書いても誰も困らないのだが、読み返すのが億劫すぎる。本人がこの有様なのだからコメントなど来るはずもない。
理想としては『親指』の記事程度の長さが一番だが、現実は『親指』を除くと平均1800文字。暇ではないはずなのだが自分でも暇だとしかおもえない。
そんなことを言っている間にまた千文字を越えてしまったのでここら辺でやめておくが、どうでしょうか。やっぱり短い方がいいですよね。
電気屋のマッサージ機でダメになる
弱冠21歳にして腰痛が悩みだ。
基本的には至って健康体な私だが、腰に関しては弱い。長時間立っているとすぐに調子がおかしくなる。仕事柄そんなことは言ってられないので現在は放置しているのですが。
腰痛の原因は明確で、一昨年の夏頃から仕事の時間、頻度、ハードさが総合してどんどん上がり、下手な新卒より給料が多くなる代わりに休みは月一などといったふざけたスケジュールをこなしていた。
ダブルワークだったんだが、どちらも接客で立ち仕事。長時間労働に加えインドアの身にはきつい肉体労働もあり、二つの仕事を一日ではしごしたりなどもしていたため睡眠時間の確保も十分にできていなかった。
結果、去年の今頃くらいだろうか、眠っても治らない腰痛に気づいた。まぁ忘れた頃に治るだろうとおもっていたんだがこれが一向に治らず、一ヶ月を越えたあたりから我慢できなくなる程の痛みに変わり、これはいよいよおかしいとおもい、無事通院といった次第である。
現在はダブルワークの片方を比較的楽な仕事に転職し、勤務日数も無理のないようだいぶ減らしている。
だが、通院するのが遅かったせいか、腰痛を感じやすい体になってしまったようで。
日々慢性的な腰痛に悩まされている私だが、友人であり先輩であるMさんの買い物に付き合っている時、偶然オアシスを見つけてしまった。
それが電気屋のマッサージ機である。
個人的にマッサージ機といえば温泉というイメージがあるんだが、だいたいの温泉では有料。私の中ではセレブの乗る物だった。
しかし、電気屋のマッサージ機は電気屋側がその性能を試してもらうためのもの。もちろん無料で享受でき、その上種類も豊富ときている。
マッサージ機コーナーでは、既にマッサージ機にほだされた者たちが快感に身を委ねていた。
それは少し異様な光景であった。ほとんどがご老人で、皆目を瞑っている。ちょっと死んでいやしないかと心配になる。
電気屋といえばどこもうるさいぐらいの店内CMがかかっているが、それすらも耳に入っていないかのよう。その空間だけはリラックスした空気に包まれていた。
これは是非ともあやかりたいと、私とMさんはごく自然な動作で手頃なマッサージ機に腰を下ろした。
それにしても、最近のマッサージ機というものは本当にすごいですね。
「匠」というマッサージ機があったんだが、まさに匠としか言いようがない手腕。目を瞑ると人間に揉まれているような錯覚に陥るほどである。
匠以外のマッサージ機も試したが、どれも素晴らしい揉みっぷり。 だがやはり値段が高い方がクオリティが高い気がする。こちらは足をすっぽり覆っていてよいが、頭の置き所がしっくりこない。一方あちらは寝心地最高だが、揉み方が少し荒い。
などと、私がひとりでマッサージ機評価をして遊んでいる内に、Mさんは三十万円のマッサージ機の手にかかり爆睡していた。電気屋で睡眠を取る22歳。さすがに面白い。
かれこれ一時間以上は揉まれただろうか。
Mさんは半分寝ているような表情、私は恐ろしく軽くなった身体に感動しつつ帰路についた。
しかも驚いたことに、慢性的な痛みを抱えていた腰が爽快なのである。これには心から感謝した。感謝と感動のあまり危うくマッサージ機のローンを組むところであった。
その日以来、私の心に電気屋のマッサージ機が住み着いた。
朝起きたら「むくみを取るためにマッサージされたい」、出かける時も「このまま電気屋に向かいたい」、仕事中も「腰が痛くなって来たからとりあえず揉まれたい」。とにかくいつでもどこでも、事あるごとに電気屋のマッサージ機欲が首をもたげるのである。
どうやら電気屋のマッサージ機は、私の身体をほぐしただけでなく、心までもを掴んで離さなかったようだ。
今の私は完全に恋する乙女。事もあろうに相手が電気屋のマッサージ機ですが。
今これを書きながらも考えているのは電気屋のマッサージ機のことである。寝ても覚めても電気屋。箸が転んでもマッサージ機。
もはやただのバカである。
おんぼろ電卓と察される女
受かる気だけは人一倍あったんですがね、落ちました。簿記二級。
まぁ勉強していなかったため当然の結果なのだが、どこかで飲み込めていない自分がいる。私は優秀であるはずだ、という歪んだ自意識がそうさせているのだろう。
おもえば私はいつもこうで、「努力」の二文字がとんでもなく重荷に感じてしまう。
自動車学校の試験も勉強せず一回落ちたし、それ以前に学校に通うのが苦痛で卒業するのに契約期間ギリギリまでかかった。中学で躓いた英語はいまだに全くわからないし、高校の時なんとなく受けた漢検も勉強せず落ちた。
だがこれら全て、謎に合格する気だけは人一倍あったのである。
今回の簿記二級に至っては、三級資格不所持の状態からのスタートであった。そもそも底辺文系私立大学生である私が、独学で理解できる内容ではなかったのである。
しかも事もあろうに勉強しようと参考書を開いたのが試験の一週間前(正しくは五日前)。簿記ど素人の私が突然二級の範囲を解けるはずもなく、三級の勉強から始めることとなった。
というか、こんなところで見栄を張っても仕方ないので白状すると、実は三日前まで三級を受ける気でいたのである。
どういうことかというと、検定申し込み自体だいぶ前の出来事であったため、忙しない日常によりぐちゃぐちゃになった頭が誤変換を起こし、簿記二級に申し込んだ事実を三級へと書き換えて記憶してしまっていたのである。
これには大変驚いた。何気なく受験票を見たら二級にしっかりとマルが付けられていたのである。自分で申し込んでおいて驚くなよという話ですが。
そこから急いで二級に取り掛かったが時既に遅し。しかも二級は商業簿記と工業簿記の二種類あるんですね。流石に三日は無謀すぎた。完全にお手上げ状態である。
試験当日、いっそ欠席して睡眠を取ろうかともおもったんだが、検定申し込みをした際の事務の方の「せっかく受験するからには試験を受けてくださいね。欠席する生徒さんが多くて…」という言葉が嫌に思い出され、出席した。
試験時間は二時間程度だったとおもうが、そのほとんどを睡眠時間に費やした。皮肉なことに、出席しようと欠席しようとしている行為自体は同じだったというわけである。
簿記二級の受験料は4630円。それで得たものは二時間の質の悪い睡眠のみ。実に高い買い物である。
ところで、簿記を受験するに当たって必需品となる電卓。私はもちろん持っていなかった。
そもそも電卓が必要だということすら知らなかったのだが、勉強する際流石に暗算では厳しいと気づき、家に眠っていたおんぼろ電卓を引っ張り出した。
これが本当におんぼろで、液晶の文字は薄いわ、数字間のカンマ表示はないわ、反応速度は遅いわの三重苦。ヘレンケラーもびっくりの機能性である。
だが、新しい電卓を買う気は毛頭なかったし、電卓に負けず劣らず私の性能もポンコツだったため、試験二日前までおんぼろ電卓と二人三脚で潔く散ろうとおもっていた。
そんな私とおんぼろ電卓の前に現れたのが妹(19)である。
彼女は資格に強いと有名な専門学校に通っており、簿記三級(二級も持っているかもしれない)を保持していた。今更だが、参考書なども彼女のお古を使用していた。
「お姉簿記受けるんでしょ?電卓貸してあげる」
この時ばかりは妹(19)が女神に見えた。
彼女が貸してくれた電卓は素晴らしかった。液晶の文字ははっきりしており、数字間のカンマ表示はもちろん、反応速度も申し分なし。その他私には到底理解できないような様々なボタンがついていて、近代科学をこんな手軽に感じてもいいんですかとおもった。
ほんの数行前に二人三脚で潔く散ろうなどと、調子のいい言葉をかけていたおんぼろ電卓は即座に降板。スペックがモノを言う厳しい世界である。
で、本日電卓を返却したんだが。
妹(19)は驚いて「もういいの?」と言った。これは真っ当な反応である。
何故なら私が電卓を借りたのは試験直前。簿記経験者である彼女はその難しさを熟知しているはずで、実の姉が一週間弱で挑もうとしているなどとおもうはずもない。当然(二日後ではなく)次の検定開催日に受験予定だと考えたのだろう。
私は「うん、いろんな意味で終わったからね」と言った。
その言葉でいろいろと理解したのか、妹(19歳と3ヶ月)は「察し」とだけ言って弟に用意した誕生日プレゼントを見せびらかし始めた。
弟よ、誕生日おめでとう。私は何も用意していないけど。
こういうところがまさに「察し」である。私にはおんぼろ電卓くらいがお似合いなのかもしれない。もう一度振り向いてもらえるかわかりませんが、機会があればまた二人三脚で歩んでいこうとおもいます。
初恋のチョコは川に投げた
気づけば早いもので3月である。そんな時の流れに逆らって、今回はバレンタインデーの話をさせて欲しい。
2月14日がバレンタインデーであることは、みなさんもご存知だろう。
正月が終わったとおもったらすぐさま街はピンクとハートに埋め尽くされ、あれよあれよという間に店ではバレンタイン特設コーナーが完成し、ありとあらゆる企業やメーカーがバレンタインにかこつけて商品を売り出す。私たちが日本にいるうちは避けては通れないイベントだといえる。
私はというと、本命や義理に限らず毎年何かしら作ってはいるのですが。
この習慣が生まれたのは遡ること十余年、私が保育園生の頃。当時結婚の約束をしていたSくんに、我が母が勝手に盛り上がって作ったのが始まりである。
だが、それはいわゆる「物心ついていなかった頃」の話で、結婚は勿論愛だの恋だのといった複雑な感情が理解出来ていたわけではなかった。
その後Sくんとは同じ小学校に進み、なんだかよくわからないまま4年生くらいまでチョコをあげ続けていた。彼とのバレンタインデーの思い出では、最後のホワイトデーにもらったプーさんのマシュマロの印象が強い。
さて、そんな私が初めての恋を自覚したのは小学校高学年の頃。当時隣の席だったKくんがそのお相手である。
彼は猫のような柔らかい髪をしており、更に白い肌に薄茶色の瞳なのが大変によかった(思い出補正で美化されている部分もあるとおもいますが、そこはご容赦頂きたい)。
だがそれ以上に、ちょっとおかしいひとなのが本当によかった。
彼は年齢の割に悟っているような発言をしたり、常人の私には到底思いつかないような突拍子もないことをしたり、いちいち私を驚かせて楽しませてくれた。おかげで私はまんまと恋に落ちたのであった。
未だに私は面白いひとや私にできないことをするひとがすきである。ルーツは確実に彼だろうとおもう。
そんなわけで、KくんをすきになってからバレンタインチョコはSくんにあげるのはやめ、Kくんに渡すようになった。
一年目は普通に作って普通に渡した。ホワイトデーには小さな観葉植物を貰った。さすが私のすきな人はやることが違う!オシャレ!とおもい、酷く感動したのを覚えている。
問題は二年目である。
結論から言うと、Kくんに渡されるはずだったチョコレートは近所の河川に飲み込まれた。
当時のことを事細かに書きたいのだが、あまりにショックだったのかほとんど覚えていない。とにかく、私は彼にチョコを渡せなかったのである。
それで何故川?と思いますよね。これも結論から申し上げますと、酔っていたのである。小学生が一体何に酔っていたのか?
自分に酔っていたのである。
わかりやすいところで言うなら厨二病。放課後、真っ赤に燃える空、冷たい風、渡せなかったチョコレート。それだけで幼い厨二病心が爆発するには十分だった。
かくして私は、チョコを渡せなかった悲しみよりもその時の状況やそこに置かれている自分に酔いしれ、テンションだけでチョコをぶん投げたのだ。その時既に恋い慕うKくんの存在は頭から抜け落ちていた。
あるいはチョコと一緒にKくんも投げたのかもしれませんね。
若いとは恐ろしいものである。その溢れるパッションは誰にも止められない。きっと人間誰もが似たような経験をしていると信じているが、どうだろうか。私はまだまだあります。人生黒歴史だらけ。
ちなみに今年は家族と直近の友人二人、先行投資三人のみにとどまった。年々規模が縮小していっているところにパッションの弱まりを感じる。
長々と思い出話のような暴露話をしたが、結局バレンタインは貰う方がいいです、私は。
親指に自信がある
ひとは人生において数えきれない程のお世辞のやり取りをする。
私などは極端に自己肯定感が低いので、だいたいどこを褒められてもお世辞にしか感じられない。
のだが、唯一親指だけは自信がある。
他の指はてんでダメだ。足もいけない。だが両手の親指にだけは絶対的信頼を置いている。
私の親指は長い。爪も長い。更に適度に細い。何より第一関節から第二関節にかけて緩やかにくびれがあるのがよい。
自分のチャームポイントはと聞かれたら、迷わず親指と叫ぶだろう。
単純に私を構成する他の要素が出来損ないばかりな為、唯一まともな造形をしている親指への親愛の情が強くなってしまっただけだと言われればそれまでだが。
私にとって親指とはさながら砂漠に咲いた一輪の花である。
砂漠に咲いた一本の親指。
それはさすがに気持ち悪いですね。