5月病な日々

脚色と虚構

水槽の中と外の話

マグロは泳ぐのをやめたら死んでしまうんだって。友人の言葉に、じゃあお前はマグロだな、とおもう。友人は昔から止まることがなかった。いつもいつも全力で泳いでいた。

友人とは長い付き合いだが、いつ見ても新鮮な恋愛をしている。季節ごとに連れている男が変わる、というのは友人間では有名な話で、新しい男を紹介されるたびに、あぁそろそろ衣替えしなきゃな、などと次の季節の訪れを感じたものだ。

はたから見れば男を取っ替え引っ替えする悪女な友人を、悪く言う者もけして少なくはなかった。彼氏を盗られたなどとこれ見よがしに泣いた女も知っている。それでも友人は真っ直ぐ立っていた。真っ直ぐに恋をしていた。

久しぶりに再会した友人は、学生時代とちっとも変わらない笑顔で手を振る。高校を卒業してから、会うのはこれが2回目である。

友人は別れた男とは連絡を取らない。そこに何らかの信念があるわけではなく、ただ単に興味のない存在に割く時間がないのである。新たな好きな人のことを考えるので彼女の生活は完結する。常に本気で誰かを愛しているからこそ、彼女の生活はとてもシンプルだ。

シンプルな友人はガラスの向こうの魚を見る。鮮やかな色の小さい魚を、砂に紛れる魚を、顎が出ている大きな魚を、微動だにしない魚を、群れで泳ぐ魚を。彼女はその全てに目を細める。いつだって本気なのだ。至って健全に、彼女は誰かを愛する。そして飽きる。愛し尽くして、満足したら隣の水槽に目を移すような当たり前さで、彼女は泳ぎ続ける。

友人が昨年交際していた相手とは、互いによく知る仲でもあった。彼女と破局した後、彼が言った言葉は記憶に新しい。俺があいつを救えるとおもったんだ。俺ならあいつの最後の男になれるとおもった。だってちゃんと愛し合ってたはずなんだ、俺の勘違いじゃない、お前はわからないかもしれないけれど。きっと彼の言うことも間違いではないんだろうとおもった。単に彼の想像以上の続きがあっただけだ。

この水族館で最も大きい水槽の前についた。目玉であるマグロの大群がキラキラと光を反射させて泳いでいるのを、二人で眺める。マグロのように泳ぐのをやめない彼女と僕との間にはぶ厚いガラスがある、そうおもった。僕はマグロにはなれない。別になりたくもないし。

友人に声をかける。帰ろう、久しぶりに会えてよかった。彼女は目を細める。私も会えてよかった、お前のことは本当に大切な友人だとおもっているから。彼女は今日も昔と変わらず真っ直ぐ立っている。僕はこの先も定期的に彼女と会うだろう。会って毎回違う男を紹介されるのだろう。僕はずっと待っているのだ、彼女が泳ぎ疲れて死ぬのを目撃できる日を。

社会的多数派は弁当を残すな

「こないだコナン見に行ってさぁ」

同期の女が友人と語らう声が聞こえてくる。

私は仕事で御茶ノ水にいた。昼休みに語らうほどの仲の人間がひとりもいない私は、ゆっくり時間をかけてつくね弁当を食べていた。特に考えることもなかったので同期の女の話を聞く。

あれ難しかった、私がバカなのかと思ったけど、あれは子供絶対意味わかんないよ。えーわかる、私も見たけど難しかった。だよね、でもほんとは、(タイトル忘れました、何かしらの邦画の恋愛映画です)見たかったんだけど、言ったらマーベル?だっけ?あの外国のシリーズのやつ、あれがいいって言うから、それは絶対嫌だったからコナンにしよって言って。二人は弾けるように笑った。どうやら同期の片方が男と映画デートをした時の話のようである。

男って絶対恋愛映画とか見てくんないよね、それか寝てる、バレてるっつーの。ほんとね、聞いて、こないだなんかラーメン、ラーメン食べようって言われて。ラーメン。そう、ラーメン、ラーメンは嫌だって言ったら、じゃあ牛丼にしようって。牛丼。牛丼とかもっと嫌だわって、普通、わかるよねそんくらい、最悪だったから向かいの(名前忘れました、何かしらのオシャレなカフェだったとおもいます)にしよって言ったの。あーあそこね、映えだわ。映えよ、したら、え、あそこで何食べるの、パスタ食べるのって言うわけ。なんじゃそりゃ、パスタぐらい食うわ。マジであり得ないよね、もう別れようかな。別れた方がいい、それは。

私はつくね弁当を食べ終わったので席を立った。同期の女たちの弁当は半分も減っていなかった。

別れた方がいいのだろうか、それは。

私には彼女たちの話が半分も理解できなかった。正しくは、理解はできたが共感はできなかった。あの会話の輪に自分がいないことが本当に救いだとおもった。

私という人間は、流行りの俳優を起用した恋愛邦画を積極的に見ようとは思わないし、オシャレなパスタより家系ラーメンや牛丼の方が圧倒的にコスパがいいし、アイドルよりバンドを好んで聴くし、スカートにヒールよりズボンにスニーカーが楽だし、毎日髪を巻くことも無理だからショートヘアーだし、ショッピングより家でひたすら寝ることがご褒美に感じる。

一体何の間違いでその男と同期の女が交際するに至ったかは知らないが、その関係は双方にとって不幸であると感じざるを得なかった。しかし、友人にそういう類の愚痴を散々言っておいて、その実全く別れる気はないという女が一定数いることも知っている。

でも私だったら、恋人が友人に自分のことをそんな風に言っていたら、最悪の気分になるけどな。

私はこの件で自分が間違っているとはおもわないが、同期の女たちが圧倒的なまでにマジョリティであるということを実感しているだけに、自分がマイノリティであるからこその考えなのではともおもう。どちらかというとマイノリティである私は、マジョリティに憧れているが故にその差を日々見せつけられる。

それはそれとして、弁当を残すな。

池袋パンデミック

まったく東京は恐ろしい。私のような凡人には山梨のど田舎で平和につまらない日々を送るのが似合っているのだ。

その日は遅番で、次の日は千葉で研修のため仕事終わりに終電に飛び乗った。私の職場は研修のためにホテルに前泊させてくれるが、シフトは遅番というようなブラックともホワイトとも言い難いグレー企業である。

中央線から新宿で山手線に乗り換え、あとは西日暮里で千代田線に乗り換えればいいだけだった。時刻は24時を回り、同じ車両に乗る者は皆疲れた様子で目を閉じていた。

その時、鈍い破裂音が聞こえた。

目を開けると私の左斜め前のさらに左隣に座っていた男が何やら口を押さえている。私の理解が追いつくより先に男の口からは吐瀉物が勢いよく飛び出していた。

どれくらい勢いがよかったかというと、男の正面に座っていた若いサラリーマン風の男のカバンにかかるくらい勢いがよかった。内容物はラーメンかとおもわれた。

その車両に乗る全員が咄嗟に何もできなかった。ただその哀れな男と、ラーメンだったはずのものと、カバンを抱えて呆然とする最も哀れな男とを交互に見ることしかできなかった。突如として車内には淀んだ空気が流れ、その原因である男はしきりに謝りながら池袋で降りていった。カバンの男の隣の者が、彼にウェットティッシュを渡していた。

その一部始終はさながらゾンビ映画の冒頭部分のようであった。 彼は既にウイルスに冒されており、そのウイルスは空気感染するのである。池袋に降り立った彼にはもはや理性は残っておらず、線路付近をフラフラと歩く彼を見かねた駅員が声をかける。

「お兄さん、危ないですよ!おにーさん!お酒飲んでもいいけどね、黄色い線の外側は危ないから」言い終わる前に、駅員は首筋に走る鋭い痛みを感じる。見ると、真っ赤な目をした男が彼の首筋に牙を立てていた。喉の奥から漏れる悲鳴、倒れる駅員、心優しき女が駅員に駆け寄る、立ち上がり女に襲いかかる駅員、パニックに陥る人々。ウイルスを乗せた山手線は都内を回り続ける。池袋を中心に爆発的に感染が広がり、やがて世界はディストピアへと変貌を遂げる。生き残ったわずかな人類は、後にこのXデーを「池袋パンデミック」と呼ぶのである。

とまぁ千代田線に乗り換えこんなことを考えていたら、降りる駅に差し掛かった。ふとドア付近を見る。眼下には味噌汁だったようなものが広がっている。

ここもかい。

本当に、つくづく東京は恐ろしい。皆さんも深夜の電車に乗る際は気をつけてください。

お久しぶりです

10000000000年ぶりにはてなブログを開きました。

嘘です。正しくは10ヶ月と16日ぶりです。大変失礼致しました。

本来日記になり得るはずのブログという媒体で、要約すると『日記を書くことにしたよ』という内容の記事を最後に、今まで沈黙を貫いてきた私ですが、おかげさまで至って元気です。

この10ヶ月間、様々なことがあったりなかったりしました。1番わかりやすいところで言えば、バイトに明け暮れるバカ大学生から無事社会人になることができました。地味なところで言えば、10ヶ月前始めた日記は案の定続いていません。私は自分をよく理解しているつもりですが、これは完全に予想していた展開です。

このブログを再び開いたのはある出来事があったからですが、読み返すと、過去の自分が書いた記事は自分にとって面白く、忘れていた記憶を蘇らせる効果的な装置になり得ると感じました。

どうせまたすぐ飽きることは承知しています。けれど、またいつか気が向いた時書き始めればいいとおもいます。私はそういう人間なので。

そういうわけで、2018年、22歳社会人一年目ブログをここから始めます。どうぞよろしく。

三歩あるくと全て忘れる

私はいつもぼけっとしている。生まれてこのかたシャッキリしていた試しがないのだが、それにしてもぼけっとしている。おかげさまで基本的にアホ面である。不意に写真を撮られたりなどするとだいたい半目で遠くを見ているし、口は半開きでとても理性と知性を備えた生き物には思えない。それでも21まで歳を重ねてきたわけだが、近頃ある症状に悩まされている。

物忘れが激しすぎるのである。

昔から記憶力に自信のある方ではなかったが、ここ最近の忘却力は私史上最高値を叩き出していると言える。比喩ではなく本当に、三歩歩くと忘れてしまうのだ。忘れないようメモして声に出して、よし覚えた!とおもっても、三歩歩くともう綺麗さっぱりである。覚えていようとしたことそのものはもちろん、メモしたという行為も、なにか忘れてはいけないことがあったという大枠すらも忘却の彼方。鶏ですらここまでトリ頭ではないだろう。

しかし不思議なことに、中学時代国語の授業などで暗唱した、竹取物語の冒頭や徒然草などはなぜか今でも覚えている。忘れたいわけではないが、それらを覚えていたところで実生活の役には立たないだろう。それよりも、こなすべき課題や提出すべき書類や購入すべき消耗品など、覚えていたいことは山ほどある。ところがちょっと頭を覗けば「今は昔竹取の翁といふものありけり」であり、「徒然なるままに日暮らし硯に向かひて」である。とてもじゃないが脳内の取捨選択機能が正常に動作しているとは言えない。

アルバイト先の後輩のS(私は親しみを込めてSりんと呼んでいる)には「若年性アルツハイマーじゃないですか?」と言われる始末。仮にも先輩に向かってこの言い草。だがかわいいので許してしまう。後輩とはそういうものです。

話を戻すが、この症状、実生活に多大なる迷惑をかけている。何せ何もかも忘れてしまうのである。このままでは20代前半にしてボケ老人の烙印を押されてしまうだろう。焦った私はとりあえず、脳の活性化によいとされる日記を毎日書くことにした。ただ、お世辞にも彩があるとは言えない地味〜な生活を送っている私である。書くこともそんなにないんじゃないか?とおもい、道しるべとして最初にルールを決めてみた。

一、毎日書く

一、その日食べたものをザックリ書く

一、あったことと思ったことを書く

以上である。食べたものって小学生の絵日記じゃないんだから…と呆れられそうだが、私の生活の中で食事は最も幸せを感じる時間のひとつなので、記載するのは至極真っ当だと主張したい。あとボケ老人といえばその日食べたものを忘れるイメージがあるので、ボケ防止のためというところも大きい。

今のところ楽しくて1週間は続いている。できればこのノートが終わるまでは続けたいものだ。

ちなみに、今のところ記憶力の方は上がっている実感はありません。