5月病な日々

脚色と虚構

三歩あるくと全て忘れる

私はいつもぼけっとしている。生まれてこのかたシャッキリしていた試しがないのだが、それにしてもぼけっとしている。おかげさまで基本的にアホ面である。不意に写真を撮られたりなどするとだいたい半目で遠くを見ているし、口は半開きでとても理性と知性を備えた生き物には思えない。それでも21まで歳を重ねてきたわけだが、近頃ある症状に悩まされている。

物忘れが激しすぎるのである。

昔から記憶力に自信のある方ではなかったが、ここ最近の忘却力は私史上最高値を叩き出していると言える。比喩ではなく本当に、三歩歩くと忘れてしまうのだ。忘れないようメモして声に出して、よし覚えた!とおもっても、三歩歩くともう綺麗さっぱりである。覚えていようとしたことそのものはもちろん、メモしたという行為も、なにか忘れてはいけないことがあったという大枠すらも忘却の彼方。鶏ですらここまでトリ頭ではないだろう。

しかし不思議なことに、中学時代国語の授業などで暗唱した、竹取物語の冒頭や徒然草などはなぜか今でも覚えている。忘れたいわけではないが、それらを覚えていたところで実生活の役には立たないだろう。それよりも、こなすべき課題や提出すべき書類や購入すべき消耗品など、覚えていたいことは山ほどある。ところがちょっと頭を覗けば「今は昔竹取の翁といふものありけり」であり、「徒然なるままに日暮らし硯に向かひて」である。とてもじゃないが脳内の取捨選択機能が正常に動作しているとは言えない。

アルバイト先の後輩のS(私は親しみを込めてSりんと呼んでいる)には「若年性アルツハイマーじゃないですか?」と言われる始末。仮にも先輩に向かってこの言い草。だがかわいいので許してしまう。後輩とはそういうものです。

話を戻すが、この症状、実生活に多大なる迷惑をかけている。何せ何もかも忘れてしまうのである。このままでは20代前半にしてボケ老人の烙印を押されてしまうだろう。焦った私はとりあえず、脳の活性化によいとされる日記を毎日書くことにした。ただ、お世辞にも彩があるとは言えない地味〜な生活を送っている私である。書くこともそんなにないんじゃないか?とおもい、道しるべとして最初にルールを決めてみた。

一、毎日書く

一、その日食べたものをザックリ書く

一、あったことと思ったことを書く

以上である。食べたものって小学生の絵日記じゃないんだから…と呆れられそうだが、私の生活の中で食事は最も幸せを感じる時間のひとつなので、記載するのは至極真っ当だと主張したい。あとボケ老人といえばその日食べたものを忘れるイメージがあるので、ボケ防止のためというところも大きい。

今のところ楽しくて1週間は続いている。できればこのノートが終わるまでは続けたいものだ。

ちなみに、今のところ記憶力の方は上がっている実感はありません。