初恋のチョコは川に投げた
気づけば早いもので3月である。そんな時の流れに逆らって、今回はバレンタインデーの話をさせて欲しい。
2月14日がバレンタインデーであることは、みなさんもご存知だろう。
正月が終わったとおもったらすぐさま街はピンクとハートに埋め尽くされ、あれよあれよという間に店ではバレンタイン特設コーナーが完成し、ありとあらゆる企業やメーカーがバレンタインにかこつけて商品を売り出す。私たちが日本にいるうちは避けては通れないイベントだといえる。
私はというと、本命や義理に限らず毎年何かしら作ってはいるのですが。
この習慣が生まれたのは遡ること十余年、私が保育園生の頃。当時結婚の約束をしていたSくんに、我が母が勝手に盛り上がって作ったのが始まりである。
だが、それはいわゆる「物心ついていなかった頃」の話で、結婚は勿論愛だの恋だのといった複雑な感情が理解出来ていたわけではなかった。
その後Sくんとは同じ小学校に進み、なんだかよくわからないまま4年生くらいまでチョコをあげ続けていた。彼とのバレンタインデーの思い出では、最後のホワイトデーにもらったプーさんのマシュマロの印象が強い。
さて、そんな私が初めての恋を自覚したのは小学校高学年の頃。当時隣の席だったKくんがそのお相手である。
彼は猫のような柔らかい髪をしており、更に白い肌に薄茶色の瞳なのが大変によかった(思い出補正で美化されている部分もあるとおもいますが、そこはご容赦頂きたい)。
だがそれ以上に、ちょっとおかしいひとなのが本当によかった。
彼は年齢の割に悟っているような発言をしたり、常人の私には到底思いつかないような突拍子もないことをしたり、いちいち私を驚かせて楽しませてくれた。おかげで私はまんまと恋に落ちたのであった。
未だに私は面白いひとや私にできないことをするひとがすきである。ルーツは確実に彼だろうとおもう。
そんなわけで、KくんをすきになってからバレンタインチョコはSくんにあげるのはやめ、Kくんに渡すようになった。
一年目は普通に作って普通に渡した。ホワイトデーには小さな観葉植物を貰った。さすが私のすきな人はやることが違う!オシャレ!とおもい、酷く感動したのを覚えている。
問題は二年目である。
結論から言うと、Kくんに渡されるはずだったチョコレートは近所の河川に飲み込まれた。
当時のことを事細かに書きたいのだが、あまりにショックだったのかほとんど覚えていない。とにかく、私は彼にチョコを渡せなかったのである。
それで何故川?と思いますよね。これも結論から申し上げますと、酔っていたのである。小学生が一体何に酔っていたのか?
自分に酔っていたのである。
わかりやすいところで言うなら厨二病。放課後、真っ赤に燃える空、冷たい風、渡せなかったチョコレート。それだけで幼い厨二病心が爆発するには十分だった。
かくして私は、チョコを渡せなかった悲しみよりもその時の状況やそこに置かれている自分に酔いしれ、テンションだけでチョコをぶん投げたのだ。その時既に恋い慕うKくんの存在は頭から抜け落ちていた。
あるいはチョコと一緒にKくんも投げたのかもしれませんね。
若いとは恐ろしいものである。その溢れるパッションは誰にも止められない。きっと人間誰もが似たような経験をしていると信じているが、どうだろうか。私はまだまだあります。人生黒歴史だらけ。
ちなみに今年は家族と直近の友人二人、先行投資三人のみにとどまった。年々規模が縮小していっているところにパッションの弱まりを感じる。
長々と思い出話のような暴露話をしたが、結局バレンタインは貰う方がいいです、私は。
親指に自信がある
ひとは人生において数えきれない程のお世辞のやり取りをする。
私などは極端に自己肯定感が低いので、だいたいどこを褒められてもお世辞にしか感じられない。
のだが、唯一親指だけは自信がある。
他の指はてんでダメだ。足もいけない。だが両手の親指にだけは絶対的信頼を置いている。
私の親指は長い。爪も長い。更に適度に細い。何より第一関節から第二関節にかけて緩やかにくびれがあるのがよい。
自分のチャームポイントはと聞かれたら、迷わず親指と叫ぶだろう。
単純に私を構成する他の要素が出来損ないばかりな為、唯一まともな造形をしている親指への親愛の情が強くなってしまっただけだと言われればそれまでだが。
私にとって親指とはさながら砂漠に咲いた一輪の花である。
砂漠に咲いた一本の親指。
それはさすがに気持ち悪いですね。
トイレに逆さまの金太郎がいる
突然ですが、トイレに逆さまの金太郎がいて困っています。
これでは何が何だかわからないとおもうので(私も何が何だかわからない)、順に説明していこうとおもう。
我が家にはトイレがふたつある。田舎の一戸建てには珍しくないことだが、一階と二階とでふたつ。今回問題なのは二階の方だ。
二階のトイレはいわゆる洋式トイレで、およそ半畳くらいの大きさ。左が廊下へ続くドア、後ろに小窓、左下に予備のペーパー、右壁に一軍のペーパー、という配置である。通常なら、正面の壁には四季折々の花の写真があしらわれたカレンダーがいるはずだった。
それが今日、何気なくトイレに入って腰を下ろし、目線を上げたら、逆さまの金太郎と目があったのである。
やはり言葉で説明しても伝えたいことの半分も伝わっていない気がする。百聞は一見に如かず、とりあえずこちらの証拠写真を見て頂きたい。
お分かり頂けただろうか。
auのCMの、あの金太郎である。彼が見事にカレンダーの残り全てのパーツを支えている。
いくら物語上の金太郎が力持ちだからと言って、これはさすがに荷が重いのではないだろうか。なんせ逆立ちである。見たままで言えば、逆さ張り付けである。
この状態で乙姫の笑顔を守れと言うのか。さすがに厳しい。そもそも他の桃やら浦島やらの太郎はどこへ行ったのだ。
めくって見たらいました。
桃も浦島も、支えてもらっている分際でカッコよく写っていた。
そもそもこのカレンダー、どう見ても卓上カレンダーである。
普通の神経をしている人間なら、三角柱の形をしているカレンダーを壁に貼ろうとはおもわないだろう。なぜなら壁に貼るにはあまりに立体的すぎるし、めくりづらすぎるからである。
こんな限りなくアホな行いをする人間は我が家にはひとりしかいない。
母(47歳)である。
用を足すたびに笑いを我慢しなければならないという非常に困った自体に、早々に参った私は母に異議申し立てをした。
「なにこれ?」と。
「これ卓上カレンダーでしょ?」「いつもの花のやつはどうしたの?」と。
母はケロッとして「かわいいでしょ」と言ってのけた。
当然だとでも言いたげな様子である。何なら少し誇らしげである。
それを聞いた私は、もうなにを言っても馬耳東風であるとおもい、「そっか、うん、いいんじゃない」とヘラヘラして部屋を出た。すぐ諦めるのは私の悪い癖である。
実際は何ひとつよくないというのに。なにが「いいんじゃない」なのか。
モヤモヤしていると尿意が襲ってきた。しぶしぶトイレに入ると、当然目の前には金太郎。
おまえのせいでこちとらいらんモヤモヤを抱えてるんだぞ、とおもいながら見ていたんだが。笑顔の金太郎を見ているうちに、どこからか同情のような気持ちが湧き上がってきた。
彼も彼なりに頑張っているのだ。身に余る大役を任されて、それでも笑顔を絶やさず、任務を全うしようと粉骨砕身しているのだ。私もこんなところでモヤモヤしている場合ではない。
なぁ、金ちゃん。俺たちこんなところで終われないよな。…これは、この任務が終わったら言おうとおもってたんだが、今言わせてくれないか。俺は金ちゃんに一回も相撲で勝てたことはなかったが、勝手に金ちゃんのこと、ずっといいライバルだとおもってたんだぜ。ははっ、よせったら、まさかりはさすがに痛てーって。なんだよ、泣いてんのか?ったく、金ちゃんは昔っからそうだよな……
ここら辺まで来て、猛烈なノックが私を現実に引き戻した。
「ちょっといつまで入ってるの!?早く出て!!」
母(47歳と7ヶ月)である。
トイレがつい長くなってしまうのも、私の悪い癖である。
『チョコボールはピーナッツ派』
私はしがない大学3年生だ。
そんな大学で、「オリジナルのシナリオを考える」という課題が出された授業があり、夜なべしてなんとか捻り出したそれを眠らせるのはもったいないので、ここに放出させて欲しい。最後の方などは自分でもわけがわからなくなってきて適当感が否めないんだが。
言い訳ばかりしてもしようがないので、早速ご覧ください。
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31歳女性が仕事帰りにコンビニに寄ったようで、レジ袋を提げて帰ってきた。取り出したのはチョコボール。愛らしいキョロちゃんの顔がかいてある。これは素晴らしいと物欲しげな顔で見ていたら、「あんたの分も買ってあるよ」と太っ腹なことを言われたものだから、本当にこの女は素晴らしい、住まわせてくれる上にチョコボールまで買ってくれる、きっと女神に違いないと心底感動した。
数年前、二人が知り合って間もない頃、チョコボールはピーナッツに限るという話で意気投合した。そのあと何がどうなって今の形に至ったのか、細かいところは覚えていないが、31歳と27歳は交際、および共同生活を始めることと相成ったのである。何はともあれ、チョコボール談義をしたことで確実に二人の距離は縮まったといえるだろう。
31歳女性からチョコボールの小さな箱を受け取る。軽く振ってみると、中でチョコボールが動いて、カッカッカッと心地良い音がなる。これを聞くともうたまらない。はやる気持ちを抑えながらビニールに爪を立てる。と、唐突に31歳女性は「好きな人ができたの」とつぶやいた。目には涙がたまっていた。
31歳女性は一人暮らしである。厳密には、私と31歳女性の、1匹と一人暮らしである。数年前、つまり二人が27歳だった頃、私は27歳男性と27歳女性の二人と、暖かい陽だまりのような家で穏やかに暮らしていた。もともと27歳男性と暮らしていた私は、突如登場したこの女のことをあまりよく思っていなかった。そこにチョコボールである。女性はなかなか心を開かない私に、半ば投げやりにチョコボールの小さな箱を玩具として与えた。これが私のツボに見事にはまり、結果的に関係は良好なものとなった。
27歳男性が帰ってこなくなったのは、珍しく二人が声を荒げて口論した次の日からである。前夜の口論を気にしてか、その朝は食事中も無言で気まずい空気が流れていた。いつも通り出かけていった男性に、女性は「いってらっしゃい」を言わなかった。私はなんだか無性に嫌な予感がして、しきりに部屋をうろうろしていた。数時間後、滅多に鳴らない電話がなり、呆然と膝を折った女性がつぶやいた「コウツウジコ」の言葉の響き。それから、27歳女性は31歳女性になるまでこうして私と静かに暮らしている。暖かい陽だまりのような家は、いつもどこか湿っぽい、暗い家になってしまった。
私はバカではない。31歳女性の「好きな人ができたの」という言葉の意味もわかる。27歳男性の写真を眺めては苦しそうにしていたこと。私はチョコボールの箱を脇にやって、31歳女性の足元に擦り寄った。あんたは悪くない、27歳男性だってそうすることを許してくれるはずだ、そういった意味を込めて鳴いた。
31歳女性は何度も頷きながら私を抱き上げた。「ごめんね」塩っ気のある肌を舐める。どうやら女性は私を連れてどこかへ出かけるようである。「好きな人」のところだろうか、私は仲良くできるだろうか。ふと見ると、女性が買ってきたチョコボールはキャラメル味であった。
あたしは昔から好きな人には尽くしすぎてしまうたちだ。4年前付き合っていた男も、あたしのことが重いと言って他に女を作っていた。可愛さあまって憎さ百倍とはまさにこのことである。気づいたときには男の背中を押していた。運の悪いことに、そこは歩道橋の上だった。
4年前あたしを捨てた男が置いていった猫。猫のことは好きでも嫌いでもなかったから、これまでの延長で世話をした。だが、事情が変わったのである。それは完全に一目惚れで、なんとか連絡先を聞いて、彼の好みを調べて、好みの女になるよう努力を重ねた。そんなあたしが、彼の猫アレルギーを知るのにさほど時間はかからなかった。
猫にとってチョコレートは毒だったよな。そんなことを考えながら保健所への道を急ぐあたしの腕の中で、猫はおとなしく眠っていた。
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ちなみに「チョコボール」「登場人物の呼び方」「猫」などのキーワードは、とあるブログから着想を得たものである。内容が内容だけにリンクなどはとても貼れないですが。よかったらそちらのブログも探してみてほしい。
服を売ったギャングの話
部屋を掃除した。
正しくは、服を整理した、ですが。
昔から掃除というものが苦手で、家に自分のテリトリーがないことも相まって、私の持ち物はあちこちに好き勝手転がっている。
服に関して言えば、タンスと押入れとクローゼットにバラバラに押し込められているのはまだいいとして、問題なのは所持している服の8割が床に積まれているということだった。つまり押し込められているのは残りの2割。文字通り服の山である。
そんな状態で暮らしていてもズボラで外見に無頓着なたちの私は一向に構わなかったんだが、ある時気付いてしまった。
あれ…私、いつも同じ服着てね…?
誤解を招きそうなので訂正しておくと、服を洗っていないとか同じ服を複数所持しているとかではないです。単純に、上下10着づつくらいで着回しているということ。
更にここで補足しておくと、服の山というだけあって私が所持している服は決して少なくはない。ただ、スタメンが上下合わせて20着なのである。残りは全員ベンチ待機。もうベンチとか壊れますね。
これでは眠っている服がかわいそうだし、そもそも着ない服をいつまでも大事にしまっておく意味がわからない。
というわけで、個人的に時間も出来たし、ちょっとした節目でもあるし、いい機会なので見る人が見ればゴミ屋敷と言われそうな、我が家の掃除を試みたのである。
ところで、私は何か行動する前には満足するまで情報を集める人間なのだが。例に漏れず今回も、いわゆる「片付け本」を何冊かパラパラとやった。中でも参考にしたのはこんまいさんの『人生がときめく片付けの魔法』である。
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物凄く有名なので、今更かよ!と言われそうだが、本当に人生がときめいたので紹介させて欲しい。
私が実践したのはたったみっつだ。
①所持する服を一つ残らず出すこと
②いるものといらないものに分けること(シビア目に)
③立てて収納すること
まず、家中の自分の服を出すところから始めたんだが、これがまた大変な量で骨の折れる作業だった。何なら床が見えなくなっていた。足の踏み場はもちろんなかった。
そして②の作業に移る。これは世のありとあらゆる「整理」と名のつく作業について回る行為だが、重要なのはカッコの部分。(シビア目に)というのは、つまり容赦無く捨てろという意味である。
オンシーズンなのに一度も着ていない服、サイズが合わない服、傷んでいる服、趣味ではなくなった服、などなど、私の場合全体の3割強はいらない服だった。
いるものといらないものに分けたところで、満を辞して収納である。今まであっちこっちに散りばめられていた服だが、ひとつのタンスに種類別に分けて綺麗に収納することが出来た。
立てて収納、というのはうまく説明できないので本を買うなりググるなりしてください。ちなみに今回収納したタンスは兄弟の共用タンスだったのだが、誰一人として実用していなかったので強奪した。
強奪などと言うと、さながらギャングですね。
一方、いらなくなった服たちだが、こちらはハードオフに持って行くことにした。
服を売るなどという行為は初めてだったが、整理をしたことで私の日々のワードローブは潤った。部屋も若干広くなったし、何より心が広くなった感じがする。服を整理した者の余裕、とでも言うのだろうか、ハードオフへの足取りも自然と軽かったような気がする。
ハードオフではだいたい次の季節のアイテムを買い取ってくれるらしい。今は2月なので春服と夏服がよく売れるようだ。
私の場合、春夏秋冬オールシーズンのアイテムを網羅していたのだが、ハードオフは値段のつけられないものも引き取ってくれるので断捨離には丁度いいというわけである。
御察しの通り私は調子に乗っていた。だいたい、掃除などという行為自体何年ぶりかわからない。
そんな一大イベントを乗り越えた自分にはさらなるハッピーが待っているに違いないとおもっていた。具体的に言うと持ち込んだ服たちは、少なく見積もっても1000円くらいで売れるとおもっていた。
270円でした。
先ほどまでギャングだなんだと言っていた人間が手にしたのが270円。たったの270円ですよ。ワンコイン以下。
隠しきれないショックを和らげようと、帰りにハードオフの脇にある自動販売機でジュースを買った。
当たり付き自動販売機だったのだが、普通に外れました。世の中服を整理したくらいじゃ甘くはならないようですね。