5月病な日々

脚色と虚構

池袋パンデミック

まったく東京は恐ろしい。私のような凡人には山梨のど田舎で平和につまらない日々を送るのが似合っているのだ。

その日は遅番で、次の日は千葉で研修のため仕事終わりに終電に飛び乗った。私の職場は研修のためにホテルに前泊させてくれるが、シフトは遅番というようなブラックともホワイトとも言い難いグレー企業である。

中央線から新宿で山手線に乗り換え、あとは西日暮里で千代田線に乗り換えればいいだけだった。時刻は24時を回り、同じ車両に乗る者は皆疲れた様子で目を閉じていた。

その時、鈍い破裂音が聞こえた。

目を開けると私の左斜め前のさらに左隣に座っていた男が何やら口を押さえている。私の理解が追いつくより先に男の口からは吐瀉物が勢いよく飛び出していた。

どれくらい勢いがよかったかというと、男の正面に座っていた若いサラリーマン風の男のカバンにかかるくらい勢いがよかった。内容物はラーメンかとおもわれた。

その車両に乗る全員が咄嗟に何もできなかった。ただその哀れな男と、ラーメンだったはずのものと、カバンを抱えて呆然とする最も哀れな男とを交互に見ることしかできなかった。突如として車内には淀んだ空気が流れ、その原因である男はしきりに謝りながら池袋で降りていった。カバンの男の隣の者が、彼にウェットティッシュを渡していた。

その一部始終はさながらゾンビ映画の冒頭部分のようであった。 彼は既にウイルスに冒されており、そのウイルスは空気感染するのである。池袋に降り立った彼にはもはや理性は残っておらず、線路付近をフラフラと歩く彼を見かねた駅員が声をかける。

「お兄さん、危ないですよ!おにーさん!お酒飲んでもいいけどね、黄色い線の外側は危ないから」言い終わる前に、駅員は首筋に走る鋭い痛みを感じる。見ると、真っ赤な目をした男が彼の首筋に牙を立てていた。喉の奥から漏れる悲鳴、倒れる駅員、心優しき女が駅員に駆け寄る、立ち上がり女に襲いかかる駅員、パニックに陥る人々。ウイルスを乗せた山手線は都内を回り続ける。池袋を中心に爆発的に感染が広がり、やがて世界はディストピアへと変貌を遂げる。生き残ったわずかな人類は、後にこのXデーを「池袋パンデミック」と呼ぶのである。

とまぁ千代田線に乗り換えこんなことを考えていたら、降りる駅に差し掛かった。ふとドア付近を見る。眼下には味噌汁だったようなものが広がっている。

ここもかい。

本当に、つくづく東京は恐ろしい。皆さんも深夜の電車に乗る際は気をつけてください。