5月病な日々

脚色と虚構

夢に生きる女の話

明晰夢というものを見たことがない。夢の中の自分はただの自分であり、自分を取り巻く環境、事象、その全てを現実としてしか認識することはできない。目が覚めてはじめて、夢を見ていたのだと悟る。

夫が死んで随分経った。死因はカタカナと漢字がまぜこぜのとても長くて難しい名前の病。喪主を務め、香典返しをし、保険屋に電話し、市役所で書類を書き。そんな風に忙しくしていてふと気がついたら四十九日も終わり、秋になっていた。思い返すと今日までの記憶は断片的で、悲しむ暇もなかったような気がする。かつての日本の妻たちは、悲しむことが嫌で煩雑な仕事を増やしたのかもしれない。

私は夫を愛していた。顔立ちは整っているとは言えないが、黒目がちな瞳にはどこか愛嬌があった。新卒で入った会社の先輩という何のドラマ性もない出会いも、こたつでみかんを食べながらのプロポーズも、平凡な私にはちょうどよかった。イベントごとで盛り上がることもなければ大きな喧嘩もない、そんな日常を愛していた。

夫が最初に夢に出てきたのは、彼が亡くなる前日だった。夢の中の私たちには2歳の一人娘がおり、私は酷く疲れていて、家は荒れ果てていた。どうせ私が悪いんでしょう、あなたには私の気持ちなんかわからないんだわ、眼前に立ちはだかる夫を散々口汚く罵って、私は泣いた。夫は私を抱きしめた。きみは悪くない、誰も悪くなんかないんだ。床では娘が寝ていた。

目が覚めて、夢でよかったと胸を撫で下ろしたところに、病院から夫が死んだと電話が入ったのだった。やけにリアルでずっしりとした質量と、ひとり取り残されたプールの更衣室のような湿度のある不思議な夢は、虫の知らせのようなものだったのかもしれない。それから、ほとんど毎日夫の夢を見る。

夢占いをはじめとして、古くから人間は夢に大きな意味を見出してきた。この夢が私にとってどんな意味を持つのかはわからない。いつまで経っても夢の中の自分は夢だと自覚することがないままで、まるで私自身違う人生を歩んでいるような気持ちがしてくる。夫が死んで、私もそれなりに心を病んでいるのかもしれない。

私たち夫婦には子供ができなかった。私も夫も子供が好きな方だったが、ついに子宝に恵まれることはなかった。私はそれを残念に感じていたが、夫の夢を見るようになってから、漠然と子供がいなくてよかったのかもしれないと考えるようになった。夢の中の自分は、子を愛すことのできない女だったからである。

私は夫を愛していた。愛する夫との間にできた子も当然愛すことができると信じていた。子を愛せるかどうかは産んでからでないとわからないのだということに、産んでから気づいた。子は私とも夫とも違う人間だった。子が人間になるまでには大変な労力と時間とお金がかかった。子には言葉は通じない。子は糞尿や涎を垂れ流す。子の将来は不確定要素が多すぎる。その全てが、私を苦しめた。最も私を追い詰めたのは、愛せるはずの我が子を全く愛しいとおもえない自分自身の歪さであった。しかし、これは夢の話だ。

夢の中の夫はいつも優しい。私を理解し、認め、慰め抱きしめてくれる。夢の中の夫は娘に物理的にも心理的にも触れることがない。夫は忙しく、優しく、ずるい男なのである。そういうところが好きだった。現実に夫は死んだ。これはおばけのようなものだった。自分で作り出したおばけ。私は夢を夢と言い聞かせる。そうでないと何が現実で自分がどこにいるのかわからなくなりそうだった。

娘はいつまでも床で寝ている。現実が揺らぐ。サイレンの音が聞こえて、私は目を閉じる。