他人を眉毛中心で見ている
人は、第一印象が9割らしい。
そんな身も蓋もないこと言うなよとおもいつつも、納得できてしまう。この世は完全に顔面偏差値がモノを言う世界である。
ところで、皆さんは初対面で他人のどこを見ているだろうか。
顔全体のバランスかもしれない。目の大きさかもしれない。はたまた身体つきかもしれない。
私はというと、眉毛なんですね。
眉毛。それは、女性向けメイク雑誌でも肌に並ぶくらい時間をかけるべきとされるほど、人間の顔面において重要なパーツである。
実際、眉毛が整っているだけで小綺麗な印象を受けるし、顔自体が垢抜けて見える。綺麗な眉毛をしている人がいた場合、視線は完全に釘付けである。眉毛に。
中でも私は、表情に連動してよく動く眉毛の人がすきである。
驚いた時は大きく持ち上がり、困った時はへの字になる、そういうわかりやすい眉毛の人には本当に参る。もうどうにでもして、といった心境である。
そのせいか、私は他人の眉毛に厳しい。しかも変化に敏感である。
これはMさんに指摘されて気づいたんだが、あの子かわいいよね、などといった話をしている時、私は絶対に眉毛を例に挙げるらしい。同じように、批判する時もまず真っ先に眉毛のことを言うらしいのだ。人間の判断基準が眉毛。もはや眉毛バカと言っても過言ではないレベルである。
友達が眉毛の形を変えたり整えたりしていると絶対に気づく自信がある。髪型などには一切気づかないくせに、あっ眉毛短くなってる…とかは敏感におもっているのだ。
ちなみに私自身はどうかというと、無修正である。
つい昨日ムシャクシャして適当に切ったので無修正ではなくなったんだが、それまではフサフサであった。とてもじゃないが人様の眉毛にあれこれ言える立場ではない。
もちろん自分自身の眉毛は好きではない。ただ手入れをするのが面倒で放置しているだけである。私の価値観でいくと人間失格レベル。歩く矛盾である。
歩く矛盾は他人の眉毛を見ている。フサフサの眉毛を携えながら。
なんだが新種の怪獣の話をしている気分になってきました。名前は『歩く矛盾』。きっと鳴き声は「フサフサ」ですね。
焼肉ほいほいという寝言
「全部ペケじゃん。焼肉ほいほいじゃないよ、まったく。予習復習だからね」
一体何事かとお思いだろう。これは、我が母(47)が発した寝言である。
まず状況から説明させて欲しい。事件は、私がいつも通り眠りに就こうと布団に潜った時に起きた。時刻にして深夜3時過ぎ頃、上記の台詞が暗闇に響いたのである。
私の寝床は二階の最も奥に位置し、私、弟、母の三人で、いつも仲良く眠っている。ちなみに、弟は姉である私と母に挟まれている形である。思春期なのに哀れとしか言いようがないが、強く生きて欲しい。
弟のことはひとまず置いておいて、母の話をしよう。
前提として、彼女は結構頻繁に寝言を言っている。だいたい私が寝ようとすると「いらっしゃいませ」などと言って驚かせてくるのだ。当然彼女に悪気は一切ない。意識がないので当たり前である。
母の寝言をランキング形式で紹介すると、
1位 いらっしゃいませ
2位 ありがとうございました
3位 おにぎり100円セール開催してまーす
である。
もうお分かりかとおもうが、彼女はコンビニエンスストアでアルバイトをしているのである。どうやら夢の中でも働いているようで、私としては家なんだが店なんだかわからなくて混乱してくるんだが、もちろんやっぱり母に悪気はない。
ちなみにおにぎりと並んでおでんセールも頻出していたが、季節柄か押され気味である。
しかし今回の寝言はどうだ。
まず、「 全部ペケ」や、それを受けての「予習復習」と言っていることから、彼女は子供たちの試験の答案用紙でも見ているのだろうと推察できる。しかも全部間違っていて、ご立腹の様子。できの悪いのは夢の中でも健在らしい。
ここまではわかる。
問題なのは「焼肉ほいほいじゃないよ」である。
普通に暮らしていれば「焼肉ほいほいじゃないよ」などと言われてはいそうですかとはならない。そもそも焼肉ほいほいって何だ。恐ろしく流暢にはっきり喋っていたので聞き間違いではない。母は確かに「焼肉ほいほい」と言った。
成績が悪かったから焼肉に行く予定をほいほい無しにした、という意味だろうか。だが我が家は滅多に外食に行かないし、焼肉などというものはいよいよ食べない。
では逆に、成績が悪かったから焼肉ほいほいという名の何らかの罰を与える、という意味だろうか。しかし我が家は成績が悪くとも処罰を受けることはほとんどない。
そもそも文の構造的に、「焼肉ほいほいじゃないよ、まったく」なので上記二つは噛み合わない。
そうして考えていたんだが、間違っていた試験の解答が焼肉ほいほいという言葉だった、というのを思いついた。これは構造的にもおかしくはない。もうこの説が正解な気がしてきた。
年齢的に試験の出来が取り沙汰されるのは弟である。帰宅した弟は、返却された答案用紙をカバンから出さずにこの場をやり過ごそうとする。
しかしコンビ二バイトから帰ってきた母は、弟が風呂に入っている間にカバンを探るのだ。哀れな弟は0点の答案用紙を風呂上がりに突きつけられる。
母は言う。「全部ペケじゃん!焼肉ほいほいじゃないよ、まったく。予習復習だからね!」
バタン!とドアを閉められる。何も言えない弟の目の前を「焼肉ほいほい」と書かれた答案用紙が舞う。もちろん大きなバツがつけられている。自己嫌悪に陥る弟はおもうのだ。俺はこんなことを書いて何がしたかったんだ……焼肉ほいほいじゃないよ、まったく……と。
私の想像力ではこれくらいしか思いつきません。アホ(母)の考えることはわかりかねますね。
テンポアップで人間から遠ざかる田淵
私もMさんもカラオケが好きである。
基本的に、つるんでいる時どちらかが 「カラオケいこう」とノリで言い、「イェーイ」で入店。何でもかんでもノリで済ましがちなのが私たちの特徴である。
先日も完全にノリだけでカラオケに行ったのですが。
私たちのカラオケは、両者とも相手が曲を知っていようがいまいが関係なく、歌いたいものを歌うスタンスである。
私に関して言えば日頃の鬱憤を爆発させるかの如く叫び、暴れる。そうするとMさんは爆笑しているか真顔か一緒に暴れるか、といった反応を返してくれる。
Mさんは大概優しい。だが腕力が異常に強い。優しさとゴリラ的要素が奇跡的に共存している人であるといえる。
その日は夜のフリータイムで入店していたんだが、三時間程経った頃、Mさんが普通に歌うのに飽きてきたのか曲のテンポを加速させ始めた。カラオケの段階としては第二フェーズに突入したと言っていい。
人はすべからく刺激を求めるものである。
基本的に脳のつくりが単純なので、私たちは見る間に加速の虜になった。敢えて早口の曲を入れてハードモードにしたりするなどして、ドーパミン辺りの快楽物質をどばどばさせた。
そしてMさんが入れた曲で私たちのテンションはその日の最高潮に達することになる。
その曲が、UNISON SQUARE GARDEN(敬称略)の『シュガーソングとビターステップ』である。
音楽的なことには明るくないので、PVのみ簡単に説明させて欲しい。『シュガーソングとビターステップ』は、ひとりの女性会社員の恋模様と、それに連動する脳内のユニゾン(更に略)メンバーの様子を描いている内容のPVである。
ユニゾンの曲は、最近聴き始めたばかりでハッキリ言って口ずさめるのはこの曲のみ。ファンどころか好きと言うのもおこがましいレベルのどにわか。
なので、お互いがしあわせに生きる為にもユニゾンファンの方はこの先は見ないでください。よろしくお願いします。
ここから先はユニゾンファンはいないこと前提で書かせていただくが、私はユニゾンのメンバーについて一切詳しくない。だが、ベーシストが「田淵」という名前なのは知っている。
何故通常ならば最も影の薄い立ち位置であるベーシストの名前のみ知っているかというと、彼が単純に目立つからである。
目立つ、というのは、例えばユニゾンがテレビに出た時、Twitterなどで最も話題となる存在である、という意味である。
「田淵」はめちゃくちゃ動く。
「田淵」はどこでスクショしてもブレる。
「田淵」は妖怪と人間のハーフ。
などといった情報が私のタイムラインに氾濫した結果、「田淵=ユニゾンのベーシスト=妖怪」という偏見にまみれた図式と彼の名前が私の頭にインプットされたのである。
さて、問題の『シュガーソングとビターステップ』。こちらは、カラオケでもPVが流れる仕様となっている曲である。
PV付きの曲を早送りした場合どうなるか?答えはシンプル。
PVも早送りされるのだ。
バンドのPVでは大抵メンバーが演奏するシーンがあり、『シュガーソングとビターステップ』も例外なくメンバーが演奏している。もちろん、「田淵」は妖怪じみた動きをしている。
それが、あろうことかスピードアップするのである。
左右に高速移動する「田淵」。
腕を振り上げガクガクさせる「田淵」。
猛スピードでベースをぶん投げる「田淵」。
既にテンションが上がりまくっていた私は腹を抱えて爆笑。3月にして年内の爆笑ランキング暫定一位に躍り出た。この記録を超えることはなかなか難しいだろう。
文章だけでは全くわけがわからないかとおもう。是非皆さんも、これを機にカラオケで『シュガーソングとビターステップ』を歌ってみて欲しい。
もちろんテンポはマックスで。
ブログは短い方がよい
真に読み手のことを考えた時、文章は自然と短くなる。
特にブログのように不特定多数に向かって発信する場合は、それだけ気を使ってしかるべきだろう。
さて、このブログはどうなんだという話だが。
「五月病な日々」、おかげさまでたくさんの方に見ていただいているようですが、驚いたことに今だにコメントはゼロ。見た人全員無言。
なんなら直接「見たよ〜」のような言葉をもらったことも一度もない。逆に誰が見ているのかわからず疑心暗鬼に陥りそうである。
まぁ気軽にコメントが来るような内容でもないのでそれはそれでいいんですが。
ところで、毎回投稿する前に自分でざっと目を通すんだが、なんか長いかな…とおもうわけである。長さが気にならない程度に面白い内容なら良いのだが、別段そういうわけでもない。
まぁいいか、と投稿する。
次の日あたりにもう一度読み返すのだが、これは長いな…とおもうわけである。昨日の時点で、なんか長いかな…という不安感だったものが確信に変わる。
でも公開しちゃったしまぁいいか、と放置する。
そうして一週間後くらいになんとなく読み返すともう、長い長い!めちゃくちゃ長いわ!何が言いたいんだ!とおもうわけである。確信が憤りになっている。自分で自分にキレている。
疲れてんだよこっちは、と。こんな長いもん読ませるんじゃないよ、と。
なにが言いたいかというと、私のブログはいちいち長いということである。
具体的にどれくらい長いのか気になったので平均値を出してみたのだが、1585.25文字であった。ちょっとした論文と同じ文字数である。
言っておきますが、私は別に暇ではありません。
ついダラダラと書いてしまうのが癖なのである。日記というか雑記なのでダラダラ書いても誰も困らないのだが、読み返すのが億劫すぎる。本人がこの有様なのだからコメントなど来るはずもない。
理想としては『親指』の記事程度の長さが一番だが、現実は『親指』を除くと平均1800文字。暇ではないはずなのだが自分でも暇だとしかおもえない。
そんなことを言っている間にまた千文字を越えてしまったのでここら辺でやめておくが、どうでしょうか。やっぱり短い方がいいですよね。
電気屋のマッサージ機でダメになる
弱冠21歳にして腰痛が悩みだ。
基本的には至って健康体な私だが、腰に関しては弱い。長時間立っているとすぐに調子がおかしくなる。仕事柄そんなことは言ってられないので現在は放置しているのですが。
腰痛の原因は明確で、一昨年の夏頃から仕事の時間、頻度、ハードさが総合してどんどん上がり、下手な新卒より給料が多くなる代わりに休みは月一などといったふざけたスケジュールをこなしていた。
ダブルワークだったんだが、どちらも接客で立ち仕事。長時間労働に加えインドアの身にはきつい肉体労働もあり、二つの仕事を一日ではしごしたりなどもしていたため睡眠時間の確保も十分にできていなかった。
結果、去年の今頃くらいだろうか、眠っても治らない腰痛に気づいた。まぁ忘れた頃に治るだろうとおもっていたんだがこれが一向に治らず、一ヶ月を越えたあたりから我慢できなくなる程の痛みに変わり、これはいよいよおかしいとおもい、無事通院といった次第である。
現在はダブルワークの片方を比較的楽な仕事に転職し、勤務日数も無理のないようだいぶ減らしている。
だが、通院するのが遅かったせいか、腰痛を感じやすい体になってしまったようで。
日々慢性的な腰痛に悩まされている私だが、友人であり先輩であるMさんの買い物に付き合っている時、偶然オアシスを見つけてしまった。
それが電気屋のマッサージ機である。
個人的にマッサージ機といえば温泉というイメージがあるんだが、だいたいの温泉では有料。私の中ではセレブの乗る物だった。
しかし、電気屋のマッサージ機は電気屋側がその性能を試してもらうためのもの。もちろん無料で享受でき、その上種類も豊富ときている。
マッサージ機コーナーでは、既にマッサージ機にほだされた者たちが快感に身を委ねていた。
それは少し異様な光景であった。ほとんどがご老人で、皆目を瞑っている。ちょっと死んでいやしないかと心配になる。
電気屋といえばどこもうるさいぐらいの店内CMがかかっているが、それすらも耳に入っていないかのよう。その空間だけはリラックスした空気に包まれていた。
これは是非ともあやかりたいと、私とMさんはごく自然な動作で手頃なマッサージ機に腰を下ろした。
それにしても、最近のマッサージ機というものは本当にすごいですね。
「匠」というマッサージ機があったんだが、まさに匠としか言いようがない手腕。目を瞑ると人間に揉まれているような錯覚に陥るほどである。
匠以外のマッサージ機も試したが、どれも素晴らしい揉みっぷり。 だがやはり値段が高い方がクオリティが高い気がする。こちらは足をすっぽり覆っていてよいが、頭の置き所がしっくりこない。一方あちらは寝心地最高だが、揉み方が少し荒い。
などと、私がひとりでマッサージ機評価をして遊んでいる内に、Mさんは三十万円のマッサージ機の手にかかり爆睡していた。電気屋で睡眠を取る22歳。さすがに面白い。
かれこれ一時間以上は揉まれただろうか。
Mさんは半分寝ているような表情、私は恐ろしく軽くなった身体に感動しつつ帰路についた。
しかも驚いたことに、慢性的な痛みを抱えていた腰が爽快なのである。これには心から感謝した。感謝と感動のあまり危うくマッサージ機のローンを組むところであった。
その日以来、私の心に電気屋のマッサージ機が住み着いた。
朝起きたら「むくみを取るためにマッサージされたい」、出かける時も「このまま電気屋に向かいたい」、仕事中も「腰が痛くなって来たからとりあえず揉まれたい」。とにかくいつでもどこでも、事あるごとに電気屋のマッサージ機欲が首をもたげるのである。
どうやら電気屋のマッサージ機は、私の身体をほぐしただけでなく、心までもを掴んで離さなかったようだ。
今の私は完全に恋する乙女。事もあろうに相手が電気屋のマッサージ機ですが。
今これを書きながらも考えているのは電気屋のマッサージ機のことである。寝ても覚めても電気屋。箸が転んでもマッサージ機。
もはやただのバカである。