【読了】また、同じ夢を見ていた
皆さんにとって、幸せとは何だろうか。
住野よるさんの『また、同じ夢を見ていた』を読んだ。処女作である『君の膵臓を食べたい』で本屋大賞を受賞し、一躍有名になった作者の二作目である。以前処女作の方も読んだが、個人的には『また、同じ夢を見ていた』の方が好みであった。
終始主人公である小学生の女の子の視点で物語は語られる。周囲より少し「かしこく」て負けず嫌いな性格の主人公は、学校に友達がおらず、優しい先生に会うことと更に「かしこく」なること以外に学校に行く意味を見出せない。
だが、そんな主人公にも友達がいる。尻尾の短い猫、美味しそうな見た目のアパートに住むかしこくて綺麗な「アバズレ」さん、美味しいお菓子を作ってくれる優しいおばあちゃん、廃墟の屋上で出会った、自作の小説をノートに書く自傷癖のある「南」さん。主人公は学校が終わると友達たちの元へ行っては楽しくおしゃべりをし、学校の宿題である「幸せとは何か」について考える。
お父さんやお母さんのこと、ご飯が美味しいこと、友達たちのこと、本が好きなこと。自分を取り巻く幸せはたくさんあるが、なにかひとつ、しっくりくる答えを探し続ける主人公に、小さな事件と不思議な出来事が起こる。
読みやすいが、ところどころ表現や言葉遣いに気になる箇所があるので嫌な人は嫌かもしれない。序盤のテンポ感はゆっくりしていて、「先が気になる」とおもうまで時間がかかった。
私の話なんだが、とにかく短編がすきである。理由としては単純に「長く集中することが苦手だから」で、常に面白くないとすぐに飽きて疲れてしまう。意味のない描写を読むことに抵抗があり、伏線や後々生きてくる描写でないとずっと「あれは必要だったのか?」と気になり続ける始末。面白いと感じた長編もいくつかあるが、あまりにも地雷が多いので最初から短編や中編を選んでしまう。
そんな私的には、もっとスピードを上げてくれてもよかったというのが正直なところ。無駄だと感じる描写もあり、矛盾とまではいかないがツッコミどころもあり、まだ推敲の余地があったのでは?とおもった。これは本当に好みの問題だとおもいますが。
作品全体を通しては、「雰囲気」が最もすきだと感じた部分であった。とにかく、優しい。登場人物が主人公のフィルターを通して見ると本当に優しくて、いいものを素直にいいとおもえる主人公の性質も相まって、優しさと温かさが際限なく溢れている。
主人公のキャラクターも、現実味は薄いがギリギリのところで人間味があって、「漫画的主人公」といったかんじで受け入れることができた。ただし感情移入はしづらい。せいぜい小学生の頃を思い出して、こんなこともあったなぁ、といった程度。読んでいて、周囲の大人の感情をよく考えてしまった。それが狙いなのだろうか、と勘ぐったが、それにしては想像に任される部分が多い気がする。
想像に任される部分といえば、物語の本筋の「不思議な出来事」も結局真相は語られず、誰が、何故、何のために、などなど一切不明で、双方受動的な態度で「不思議」を受け止める形だったのがモヤっとした。ファンタジーと言われればそれまでだが。
なにも「物語の謎や伏線は全て物語内で明かされるべきだ!」と言いたいのではない。むしろ、作者は読者に想像の余地を与えるべきであるとおもっている。しかし、「想像の余地を与える」ことは非常に難しく、語られないが存在する作者の「正解」がしっかり練られていないと途端に突き放された気持ちになってしまう。
「幸せとは」がこの物語の大きなテーマなのはわかるが、結局それだけしか残らない印象。タイトルと登場人物のセリフの伏線がわかりやすすぎて、南さんのエピソードの時点でラストがだいたい想像ついてしまった。終盤はやたら駆け足で、序盤削って終盤膨らませてもよかったのでは?とおもった。
主人公の「人生とは」という口癖がかわいくてすきである。また、桐生くんとの関係もかわいらしい。主人公が「友達」たちに貰う助言がいちいち素敵で、温かくて泣けた。いい作品だとおもう。
主人公は無事見つけることができた「幸せ」。私も考えてみたんだが、幸せなことは多いのに今幸せかと問われると素直に頷くことは難しいのが不思議である。それは何故だろうと考えたところ、最も大きな望みが叶わないからだろうという結論に至った。
私の最も大きな望みというのは、過去を改変したいということである。私を私たらしめる過去を変えたい。生きてきた中で最も後悔していることを最善な結果にしたい。
しかし、人間は過去に干渉することはできない。失ったものは元には戻らないし、後悔は一生続くだろう。それでもご飯は美味しいし、友達は優しいし、家族は大切である。幸せに満ちているのである。
『また、同じ夢を見ていた』、気になる人は読んでみてはどうだろう。読みやすさやわかりやすさで言って、読書に縁遠い人ほどよいとおもいます。