5月病な日々

脚色と虚構

社会的多数派は弁当を残すな

「こないだコナン見に行ってさぁ」

同期の女が友人と語らう声が聞こえてくる。

私は仕事で御茶ノ水にいた。昼休みに語らうほどの仲の人間がひとりもいない私は、ゆっくり時間をかけてつくね弁当を食べていた。特に考えることもなかったので同期の女の話を聞く。

あれ難しかった、私がバカなのかと思ったけど、あれは子供絶対意味わかんないよ。えーわかる、私も見たけど難しかった。だよね、でもほんとは、(タイトル忘れました、何かしらの邦画の恋愛映画です)見たかったんだけど、言ったらマーベル?だっけ?あの外国のシリーズのやつ、あれがいいって言うから、それは絶対嫌だったからコナンにしよって言って。二人は弾けるように笑った。どうやら同期の片方が男と映画デートをした時の話のようである。

男って絶対恋愛映画とか見てくんないよね、それか寝てる、バレてるっつーの。ほんとね、聞いて、こないだなんかラーメン、ラーメン食べようって言われて。ラーメン。そう、ラーメン、ラーメンは嫌だって言ったら、じゃあ牛丼にしようって。牛丼。牛丼とかもっと嫌だわって、普通、わかるよねそんくらい、最悪だったから向かいの(名前忘れました、何かしらのオシャレなカフェだったとおもいます)にしよって言ったの。あーあそこね、映えだわ。映えよ、したら、え、あそこで何食べるの、パスタ食べるのって言うわけ。なんじゃそりゃ、パスタぐらい食うわ。マジであり得ないよね、もう別れようかな。別れた方がいい、それは。

私はつくね弁当を食べ終わったので席を立った。同期の女たちの弁当は半分も減っていなかった。

別れた方がいいのだろうか、それは。

私には彼女たちの話が半分も理解できなかった。正しくは、理解はできたが共感はできなかった。あの会話の輪に自分がいないことが本当に救いだとおもった。

私という人間は、流行りの俳優を起用した恋愛邦画を積極的に見ようとは思わないし、オシャレなパスタより家系ラーメンや牛丼の方が圧倒的にコスパがいいし、アイドルよりバンドを好んで聴くし、スカートにヒールよりズボンにスニーカーが楽だし、毎日髪を巻くことも無理だからショートヘアーだし、ショッピングより家でひたすら寝ることがご褒美に感じる。

一体何の間違いでその男と同期の女が交際するに至ったかは知らないが、その関係は双方にとって不幸であると感じざるを得なかった。しかし、友人にそういう類の愚痴を散々言っておいて、その実全く別れる気はないという女が一定数いることも知っている。

でも私だったら、恋人が友人に自分のことをそんな風に言っていたら、最悪の気分になるけどな。

私はこの件で自分が間違っているとはおもわないが、同期の女たちが圧倒的なまでにマジョリティであるということを実感しているだけに、自分がマイノリティであるからこその考えなのではともおもう。どちらかというとマイノリティである私は、マジョリティに憧れているが故にその差を日々見せつけられる。

それはそれとして、弁当を残すな。

池袋パンデミック

まったく東京は恐ろしい。私のような凡人には山梨のど田舎で平和につまらない日々を送るのが似合っているのだ。

その日は遅番で、次の日は千葉で研修のため仕事終わりに終電に飛び乗った。私の職場は研修のためにホテルに前泊させてくれるが、シフトは遅番というようなブラックともホワイトとも言い難いグレー企業である。

中央線から新宿で山手線に乗り換え、あとは西日暮里で千代田線に乗り換えればいいだけだった。時刻は24時を回り、同じ車両に乗る者は皆疲れた様子で目を閉じていた。

その時、鈍い破裂音が聞こえた。

目を開けると私の左斜め前のさらに左隣に座っていた男が何やら口を押さえている。私の理解が追いつくより先に男の口からは吐瀉物が勢いよく飛び出していた。

どれくらい勢いがよかったかというと、男の正面に座っていた若いサラリーマン風の男のカバンにかかるくらい勢いがよかった。内容物はラーメンかとおもわれた。

その車両に乗る全員が咄嗟に何もできなかった。ただその哀れな男と、ラーメンだったはずのものと、カバンを抱えて呆然とする最も哀れな男とを交互に見ることしかできなかった。突如として車内には淀んだ空気が流れ、その原因である男はしきりに謝りながら池袋で降りていった。カバンの男の隣の者が、彼にウェットティッシュを渡していた。

その一部始終はさながらゾンビ映画の冒頭部分のようであった。 彼は既にウイルスに冒されており、そのウイルスは空気感染するのである。池袋に降り立った彼にはもはや理性は残っておらず、線路付近をフラフラと歩く彼を見かねた駅員が声をかける。

「お兄さん、危ないですよ!おにーさん!お酒飲んでもいいけどね、黄色い線の外側は危ないから」言い終わる前に、駅員は首筋に走る鋭い痛みを感じる。見ると、真っ赤な目をした男が彼の首筋に牙を立てていた。喉の奥から漏れる悲鳴、倒れる駅員、心優しき女が駅員に駆け寄る、立ち上がり女に襲いかかる駅員、パニックに陥る人々。ウイルスを乗せた山手線は都内を回り続ける。池袋を中心に爆発的に感染が広がり、やがて世界はディストピアへと変貌を遂げる。生き残ったわずかな人類は、後にこのXデーを「池袋パンデミック」と呼ぶのである。

とまぁ千代田線に乗り換えこんなことを考えていたら、降りる駅に差し掛かった。ふとドア付近を見る。眼下には味噌汁だったようなものが広がっている。

ここもかい。

本当に、つくづく東京は恐ろしい。皆さんも深夜の電車に乗る際は気をつけてください。

三歩あるくと全て忘れる

私はいつもぼけっとしている。生まれてこのかたシャッキリしていた試しがないのだが、それにしてもぼけっとしている。おかげさまで基本的にアホ面である。不意に写真を撮られたりなどするとだいたい半目で遠くを見ているし、口は半開きでとても理性と知性を備えた生き物には思えない。それでも21まで歳を重ねてきたわけだが、近頃ある症状に悩まされている。

物忘れが激しすぎるのである。

昔から記憶力に自信のある方ではなかったが、ここ最近の忘却力は私史上最高値を叩き出していると言える。比喩ではなく本当に、三歩歩くと忘れてしまうのだ。忘れないようメモして声に出して、よし覚えた!とおもっても、三歩歩くともう綺麗さっぱりである。覚えていようとしたことそのものはもちろん、メモしたという行為も、なにか忘れてはいけないことがあったという大枠すらも忘却の彼方。鶏ですらここまでトリ頭ではないだろう。

しかし不思議なことに、中学時代国語の授業などで暗唱した、竹取物語の冒頭や徒然草などはなぜか今でも覚えている。忘れたいわけではないが、それらを覚えていたところで実生活の役には立たないだろう。それよりも、こなすべき課題や提出すべき書類や購入すべき消耗品など、覚えていたいことは山ほどある。ところがちょっと頭を覗けば「今は昔竹取の翁といふものありけり」であり、「徒然なるままに日暮らし硯に向かひて」である。とてもじゃないが脳内の取捨選択機能が正常に動作しているとは言えない。

アルバイト先の後輩のS(私は親しみを込めてSりんと呼んでいる)には「若年性アルツハイマーじゃないですか?」と言われる始末。仮にも先輩に向かってこの言い草。だがかわいいので許してしまう。後輩とはそういうものです。

話を戻すが、この症状、実生活に多大なる迷惑をかけている。何せ何もかも忘れてしまうのである。このままでは20代前半にしてボケ老人の烙印を押されてしまうだろう。焦った私はとりあえず、脳の活性化によいとされる日記を毎日書くことにした。ただ、お世辞にも彩があるとは言えない地味〜な生活を送っている私である。書くこともそんなにないんじゃないか?とおもい、道しるべとして最初にルールを決めてみた。

一、毎日書く

一、その日食べたものをザックリ書く

一、あったことと思ったことを書く

以上である。食べたものって小学生の絵日記じゃないんだから…と呆れられそうだが、私の生活の中で食事は最も幸せを感じる時間のひとつなので、記載するのは至極真っ当だと主張したい。あとボケ老人といえばその日食べたものを忘れるイメージがあるので、ボケ防止のためというところも大きい。

今のところ楽しくて1週間は続いている。できればこのノートが終わるまでは続けたいものだ。

ちなみに、今のところ記憶力の方は上がっている実感はありません。

家族でカラオケに行った

同居を始めた件の記事内で少し触れたが、先日私たち一家は飲み会を開催した。

参加メンバーは父、母、私、妹、弟、そして特別ゲストとして母の妹夫婦とその子供である。

某居酒屋チェーン店にて開催された飲み会は、大人が全員酒好きなこともあり盛大な盛り上がりを見せた。

私は送迎係のためソフトドリンクだったんだが、母に「飲んじゃダメでしょ!」と言われてしまった。もちろん飲酒はしていない。シラフでも酔っ払いと同じテンションまでブチ上がることができるという特技が裏目に出た結果である。

さて、盛り上がりに盛り上がった私たち一行は、当然のようにカラオケへと移動することとなった。酔っ払い集団とは限界を知らないものである。次の日仕事があろうと、財布の中身が厳しかろうとそんなものは関係ない。そうして無事カラオケに入店できた我々だが、ここである事実を思い出した。

家族でカラオケに行ったことなんてない!!

他人とカラオケに行ったことがある人ならわかるかとおもうが、普段どんなに仲良しでも「初めて一緒にカラオケ」となると身構えるものなのである。

カラオケには流派がある。騒ぐ派やガチ派、曲の系統、合いの手の有無、無意識に携帯を触るかどうか、時間感覚などなど、挙げだしたらキリがない。それが世代の離れた人間ともなれば警戒は最高潮。1回目のカラオケはお互い様子見に徹することもままあるのである。

気を許しまくっている家族相手とはいえ、不安が募る。もちろん世代は離れているし、全員好んで聴く音楽はバラバラである。しかも今回はほぼカラオケ初心者であろう弟もいる。カラオケという空間は、その特殊さゆえ初心者への配慮を怠ると酷いことになるのである。

などと考えていると、誰かが曲を入れたらしくイントロが流れ始めた。曲名は「ギンギラギンにさりげなく」。マイクを握ったのは父である。

父はAメロを歌いながらおもむろに立ち上がり、後ろの少し広い空間に立った。そして、

「ギンギラギンに〜〜〜!?!?ハイ!!!!ギンギラギンギラギンギラギン!!!!!!!!」

サビである。

歌詞を全く無視して合いの手を自分で叫びながら左右に腰を振る父。私たちオーディエンスは、呆気にとられるより先に圧倒的インパクトで爆笑していた。

この父、強すぎる。そうおもった。

曲が終わるまでそのテンションを貫き通した父は、結果的に全員の緊張と警戒をぶち壊すことに成功したのである。その後は全員高めのテンションで曲を歌い、踊り、楽しい時間は過ぎて行った。

その時はおもしろ過ぎて動画を撮ったのだが、後から冷静になって見返すと、酔っ払いが暴れているだけで全くわけがわからなかった。飲み会なんてそんなもんである。さすがにここに載せるわけにはいかないので見たいという物好きは言ってください。酔っ払いが暴れる様が記録されているだけですが。

シュワちゃんのいる生活

先日、iPhone7を買った。

二年間使っていたauiPhone6から、docomoのiPhone7へと乗り換えたのである。色はローズゴールドを選んだ。好きな人と同じ色だからという単純な理由である。

先代のiPhone6は、買って早々画面を割り、修理が面倒で結局二年間割れたまま使い続けた。充電の持ちも悪くなっていたし、画面が割れていることが苦痛すぎたため、二年契約からの解放と同時に即乗り換えた。おかげさまで新たなiPhone7は綺麗な画面と素晴らしい充電の持ちを見せてくれ、嬉しくて日々無意味に触っている有様である。

さて、私は毎回携帯電話に名前をつけているのだが。

まだガラパゴス携帯だった初代は「ジョニー」、二代目であり初のiPhoneデビューでもあるiPhone5は「マイケル」、三代目(先代)のiPhone6が「ポール」。このように、代々携帯電話に外国の男性の名前をつけている。

何故いちいち名前をつけているかというと、携帯依存症気味の私にとって、携帯電話は生活になくてはならないものであり、恋人であり友人であり家族のような存在であるからだ。つまり、愛着が半端なくあるのである。

また、私は物忘れが激しいためしょっちゅう携帯電話をなくす。そんな時、名前を呼びながら探すと携帯電話側も出て来やすいかとおもったのである。

友人にも紹介し易いし、名前をつけることで身近な「もの」だったものが意思を持つように感じられ、更にだいすきになってよい。あとは単に癖である。私は昔からすきなものには名前をつけがちな子供だった。

そういうわけで、早速四代目であるiPhone7の名前を考えたんだが、一週間考え抜いた末「アーノルド」に決定した。

今回は愛称もある。その名も「シュワちゃん」。

もう薄々勘付いているかもしれないが、歴代の名前は外国の有名人から頂戴している。初代は「ジョニー・デップ」、二代目は「マイケル・ジャクソン」、三代目は「ポール・マッカートニー」、そして今回は「アーノルド・シュワルツェネッガー」。

毎回外国の男性の名前なのは、携帯電話がイケメンに擬人化するCMに影響を受け、「仕事のできる男性像」を想像した時に、外国の男性のイメージが浮かんだからである。

ちなみに、Mさんに名前をアーノルドにしたと報告したところ「結構真剣に読んだけどよくわからない」と一蹴された。この話をすると基本的にみんな塩対応である。その割にちゃんと名前を覚えてくれるので、私の周囲は優しい。

既に愛着が湧きまくっているんだが、ピンクのシュワちゃんは本当にかわいい。iPhoneのスタイリッシュさには心底惚れ惚れする。

たとえ親指を立てながら溶鉱炉に沈んでも、iPhone7は防水なので心配は無用。何度でも蘇る。そう、iPhoneならね。